外観
明治の文人 斎藤茂吉の愛した、今昔ゆかしき宿 吾妻屋。
茂吉が友人の門間春雄と共に吾妻屋に逗留したのは、大正五(1916)年夏のことでした。
当時の吾妻屋当主、遠藤権治郎がわざわざその時のことを「東京の客人庭坂より馬にて来る」と日記に留めています。
「五日ふりし雨はるるらし
山腹の吾妻のさぎり天のぼり見ゆ」
茂吉が吾妻屋滞在記念にこの歌を書き残していたこともあり、一切経山と吾妻小富士の間に位置する桶沼側に建立された歌碑に刻まれ、昭和二十八(1953)年五月三十一日、除幕式が行われました。 歌碑建立にあたっては、発起人らの問い合わせに遠藤権治郎は「斎藤とかいう歌詠みが家に泊まって書いてくれた詩がある」と教えたそうです。
「山の峡わきいづる湯に人通ふ
山とことはにたぎち霊し湯」
もう一首、吾妻屋で詠まれた歌で、斎藤茂吉全集の吾妻山二十五首には載っていない歌があります。
高湯の温泉と、その湯につかる旅人の心の触れあいを歌ったものでした。
吾妻屋は 日本秘湯を守る会 会員宿です。